「今日の午後、付き合わないか?」 そうクリスに言われて、舞い上がるようにして午前の仕事を終わらせた。 珍しい彼女からの個人的な誘い。 嬉しくないはずがない。 嬉しいにきまってる。 ―― 例えそれがコロクの午後の散歩のお供の誘いだったとしても。 Holiday 「いい天気だな。」 「はい!」 「アウッ」 部下のボルスと愛犬コロクから同時に返事を返されたクリスはくすっと笑った。 クリスの言うとおり、本日のセルティ城上空の天気は晴天。 気持ちのいい日差しが人々の上に降り注いでいて、ともすれば今自分たちがハルモニアの大軍相手に必死の攻防を繰り返している事など忘れてしまいそうに穏やかないい午後。 そんな午後、でもおそらくこの城で一番幸せをかみしめているのはボルスに違いないだろう。 なんたって心の底から敬愛し、同時に女性としてこの上なく想っているクリスとのんびり散歩。 いつもの鎧姿とは違い、軽やかな軽装に身を包んだクリスは開放的な気分になっているのか、コロクの仕草に笑いを惜しみなくこぼす。 騎士団長ではないクリス・ライトフェローの笑顔にボケッと見とれてつまずくこと数回。 そのたびに「落ち着きのない奴だな」と苦笑ぎみに笑われるのでさえ嬉しいだなんて、立派なクリス中毒である。 「湖の方にでも行ってみるか?」 「はい・・・・あ、でも今日のような日では皆も集まっていて落ち着かないのでは?」 「いや、メイミのレストランの方ではなくてちょっとはずれの方だ。そこなら多分人も少ないだろうから。」 嫌か?と聞かれてボルスはブンブン首を振った。 「いいえ!行きましょう。」 「そうか。ところでボルス。」 「え?何ですか?」 「足下に気をつけないと階段が・・・・」 「え・・・・うわあっっ!!」 クリスの警告もむなしく数段階段を踏み外して尻餅をついたボルスは、本日何度目になるかわからないクリスの苦笑をもらって、それでも幸せだと思ってしまった。 ―― クリスに指示されるままにジェシーの牧場の方の森を抜けたところに、そのポイントはあった。 草原の端で僅かに崖になっているそこは湖が一望できるうえに、城からは森のせいで死角になっているせかい、人は誰もいなかった。 静かで、その上草原を吹き抜けて来た風が草の匂いを運んできて気持ちがいい。 森の端にある大きな木の下に腰を下ろしながらボルスはコロクを撫でてやっているクリスに言った。 「確かにいい場所ですね。」 「そうだろう?」 ほんの少しだけ得意げなクリスの表情に心が温かくなる。 騎士団長としてのクリスは冷静で頭のいい女性だが、こんな子どもっぽい一面もある事をボルスは知っていた。 そしてそれが彼女がリラックスしている時にしか見せない事も。 そんな表情を自分と一緒の時に引き出せたことにボルスは嬉しくなる。 もっとその顔が見たくて言った言葉をボルスは一瞬で後悔する事になった。 「でもこんな場所を見つけるのは大変だったんじゃないですか?」 「いや、そうでもないんだ。実はここはナッシュが教えてくれた。」 「え・・・・」 急に気持ちが凍った気がした。 ナッシュ・クロービス・・・・ボルスにとってクリスの口から聞きたくない名前の上位3位に確実に入るであろう名前だった。 一時的とはいえ、クリスと二人で旅をした男。 妻帯者だという話はサロメから聞いているが、そんな事で安心できるほどさすがのボルスといえどお目出たくなかった。 しかもナッシュは年の功なのか、生来の性格なのか、上手にクリスに手をさしのべる方法を知っている。 軽口を叩いてクリスの肩の力を抜いたり、冗談で彼女の気を紛らわせたり。 ボルスにはとうてい真似のできない芸当だから、悔しくて・・・・嫉妬する。 文句を言いながらもナッシュに懐いてしまっているクリスを少し、ほんの少しでも憎らしく思ってしまうぐらいに。 「ボルス?どうかしたの?」 「え・・・あ!い、い、い、いえ!なんでもありません!!」 すっかり押し黙ってしまったボルスを不審に思ったのかクリスに覗き込まれて、ボルスは慌てて首を振った。 「それならいいが。お前も最近忙しかったからな。」 勝手に納得して頷いているクリスにボルスはホッと息をついた。 さっき頭の中で考えていた事など、死んでもクリスには言えない。 会話がとぎれた拍子にサワサワと草原を風が渡る音が耳に入る。 「気持ちいいですね。」 「うん、そうだな・・・・」 柔らかい風が頬を撫でてつられるようにボルスは草原に目を移した。 見れば草原に太陽の光が跳ねてキラキラと輝く様が美しい。 それを見ているうちにボルスはため息をついた。 (まあ、いいか・・・・) 自分にとっては気にくわない男に教えられた場所ではあるが、クリスが気に入ったのならそれでいい。 クリスが休まるのなら誰が見つけた場所だろうといいか、と。 ボルスがそんな風に納得した、ちょうどその時。 ―― ことん、と肩に重みがかかった。 「?・・・・!!!???」 不思議に思って横を向いたボルスは、よく自分が驚きのあまり飛び退かなかったものだと感心してしまうぐらい、驚いた。 なんせボルスの肩にクリスが頭を乗せていたのだから。 「ク、ク、ク、クリス様?」 動揺丸出しのボルスの呼びかけに答えるのは 「・・・・すーーーー・・・・」 小さな寝息。 よく見ればコロクまで彼女の膝で目を閉じている。 「///////////////////////////////」 あまりに間近に見えるクリスの寝顔にボルスは目を離せずに見入ってしまった。 伏せられた瞳の涼やかさ、整った鼻筋、眩しい程に光を弾く銀の髪・・・・ (『銀の乙女』とはよく言ったものだ・・・・) 彼女ほどその称号が似合う者も他にいないだろうと思う。 でも同時に似合わないとも思うのだ。 民衆の前で英雄であろうとするクリスの顔ではなく、ただクリス・ライトフェローとしての表情は『銀』が想像させる冷たい美しさとは全く逆な暖かく、時に可愛らしいとすら思えるものだから。 (クリス様・・・・) ビュッテビュッケ城に来てからクリスは笑う事が増えた。 少なくともあの城に住む者達はクリスが『銀』でない事に薄々気がつき始めているだろう。 そしてきっとそのうち気づく。 『銀』以上に彼女は素晴らしい魅力があるのだと。 『銀』で覆ったその内に誰も惹かれずにはいられない輝くような本当のクリス・ライトフェローが隠されているのだと。 それは今までボルス達だけが知っている特権だった。 それがクリスにとって気を許せる場所が極限られている事を指している事を理解していても、心は喜びを隠せなかった。 本当のクリスにより近いところにいるという優越感と独占欲。 ・・・・でも、彼女は少しずつ変わっていくだろう。 そしていつか・・・・ 「誰かを・・・・愛したりするのでしょうか。」 口にしてしまってボルスは激しく後悔した。 急に苦いものでも噛みつぶしたように焼け付くような感情が喉に詰まった。 誰かを特別な瞳でクリスが見つめるようになった時、自分は彼女の良い部下のままでいられるだろうか、と。 ―― ふいに、ボルスの鼻先を風に煽られたクリスの銀の髪がくすぐった。 その髪に、風に、誘われたようにボルスはクリスに僅かに顔を近づける。 柔らかい女性独特の匂いがボルスの理性をじわりと麻痺させる。 「クリス様・・・・」 どうか、誰のものにもならないでください。 俺のものになんてなるわけがないから、せめて・・・・誰のものにもならないで。 そんな身勝手な願いを飲み込んで、ボルスはゆっくりと眠るクリスの唇に己のそれを近づける。 二人の唇が近づいてボルスが瞼を落とす。 そして・・・・ ちゅ 「アウ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・コロク・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 横っ面にコロクの大変愛のこもったキス(パンチ?)をくらったボルスは首をあらぬ方向に曲げて深く嘆息した。 「寝てたんじゃなかったのか。」 「アウッ」 なんでだかわからないが自信満々に吠えるコロクを見ていたらなんだか気が抜けてボルスは苦笑した。 そしてコロクを軽く撫でる。 「どうやら俺も半分くらい夢の中にいたらしい。起こしてくれてよかった。」 「アウ〜」 誉められて満足したのかコロクはぱかっと欠伸をした。 つられたようにボルスも欠伸を1つして ―― 一瞬躊躇った後にクリスの頭をそっと引き寄せる。 (すみません、クリス様。これぐらいは許して下さい。) 眠っているクリスに言い訳をしてボルスも背中に触れていた木に寄りかかった。 そして安心したようにかけられるクリスの暖かい重みに、波立つ鼓動を沈めるようにゆっくりと目を閉じたのだった。 「すっかり遅くなってしまいましたね。」 あの後ものの見事にねっこけてしまった2人と1匹は急ぎ足でセルティ城に向かっていた。 見れば夕焼けが草原をあかね色に染め抜いていて夕食が近いことを2人に知らせる。 別に今日は休日なので何をしていても問題はないはずだが、夕飯までにクリスの姿もボルスの姿も見えないとなればゼクセン騎士団の他のメンバーが心配して騒ぎ出す可能性もある。 「でも久しぶりによく寝た。」 満足げに大きく伸びをするクリスにボルスは目を細めた。 「それはよかったです。でも体痛くなってませんか?」 「それはボルスの方だろう?なんせ私が寄りかかっていて、コロクが膝に乗っていたんだし。」 そういわれてボルスは口元を引きつらせた。 確かに言われたとおりコロクの乗っていた脚はまだしびれているような気がするし、クリスの寄りかかっていた肩はすっかり凝っている。 でも 「クリス様がお休みなられたのなら、俺はかまいません。」 まっすぐに思ったままの感想を述べたボルスを見てクリスは一瞬目を見開いて、それから苦笑した。 「・・・・お前はまったく・・・・」 「は?」 「いや、なんでもない。」 そういってクリスはボルスに背を向けて歩き出した。 ボルスも無言でその背を追う。 その後をてくてくとコロクが付いてくる。 そんな感じで城の正面玄関が見えるところまで階段を上がってきた2人はほっと息をついた。 騒ぎになっている様子もないし、まだみんな夕食前の支度といった雰囲気だったからだ。 自分の小屋を見つけたコロクが2人を追い越して階段の残りを駆け上がっていくのを何気なく見送っていた時 ―― 不意に、クリスが振り返った。 「ボルス」 「はい?」 名を呼ばれてクリスに移した視線は階段の段数の差から、下から上へと見上げたものになる。 その視線を受け止めたクリスは・・・・ボルスの始めて見る少し悪戯っぽい表情で言った。 「しても、よかったのに。」 呟いて、クリスが軽く触れたのは自分の唇。 (・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え) ぽかんとしているボルスを置いてクリスはさっさと階段を上がりきると城の仲へと姿を消していった。 ―― その顔がほのかに赤かったのは、夕暮れの仕業か。それとも・・・・ 次の瞬間、階段の上から転げ落ちてきたボルスのおかげで、夕食時のメイミのレストランは大騒ぎになる。 でも、転げ落ちてきたボルスが気を失っていながらなんでか偉く幸せそうだったワケは誰にもわからなかった。 わかったのはただ一人。 休日の散歩から帰ってきたクリスが真っ赤な顔をして部屋に駆け込んできた所を目撃してしまった年若い従者一人だったとか。 〜 END 〜 |